資料蔵
資料蔵 ぼくの住んでいる団地の界隈に「五日市街道」という古い街道があります。
沿道に大きなケヤキが植えられた歴史のある道ですが、道筋には旧家が多く、
なかには立派な蔵のある、お屋敷のような農家も目につきます。
できることなら、ああいうゆったりとした家に住んで自分の資料蔵を持ちたいものです。
そんな冗談はさておき、このコーナーでは、〝蔵〟ならぬぼくの部屋にある資料や、
このサイトでとりあげていきたい人々の紹介を、少しずつやっていきます。
かなり偏った内容になるはずです。
ご退屈とは思いますが、興味を引かれた方はどうぞおつきあいください。
 
最終更新日 2006/06/03

 
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人名編

 

あえて分類せず五十音順に掲載。 随時更新。
公式サイト情報、人名事典、CD紹介本、などを参考にした。

<< 最終更新日 2006/6/3 >>

 
   
   
   
 
浅川マキ
あさかわ・まき 浅川マキの世界
 『浅川マキの世界』
歌い手 1942年 石川県生まれ。 '61年上京。 浜口庫之助に認められ歌手になる。
'64年『夜が明けたら/かもめ』でデビュー。 ジャズ・ミュージシャンと交流を深めながら独自の活動を続ける。
アルバム『浅川マキの世界』('70/左写真)、『浅川マキ II』('71)他多数。
息の長い歌手である。
 → 浅川マキ公式サイト http://www.toshiba-emi.co.jp/asakawa/main.htm

◆推薦盤◆ 『MAKI LIVE』 '72
私的なことだが、'71年の大晦日に新宿・紀伊国屋ホールでひらかれたライブへ友人と二人で聴きに行った。その友人がこの12月に亡くなった。
ぼくにはこの時に収録されたライブ・アルバムが忘れられないものになった。
「この一枚 この一曲」のコーナーで紹介する予定。
安里勇
あさと・いさむ 安里勇 海人(ウミンチュー)
歌い手 八重山生まれ。石垣島在住。
漁師でもあり、八重山民謡の伝統(長い息継ぎが特徴)を今に伝える。
写真家・星野道夫(故人)とも親交があった。
2001年のアルバム『海人』(ウミンチュー)に、藤原伸也、池澤夏樹、星野道夫がライナー・ノーツを寄せている。
 → 島唄ライブハウス 安里屋ホームページ
  http://homepage2.nifty.com/asadoya/index.htm
新井英一
あらい・えいいち 新井英一 清河への道~48番
歌い手 1950年 福岡県生まれ。 21歳で渡米、放浪生活の中で歌手を志し独学で歌作りをはじめる。 帰国後、内田裕也に見いだされ、'79年アルバム『馬耳東風』でデビュー。
'86年、父親の故郷である韓国・清河(チョンハー)を初めて訪れ、その体験をベースに『清河への道~48番』という感動的なアルバムを発表、第37回日本レコード大賞アルバム大賞を受賞。 いまも精力的にライブ活動を続ける。
 → 新井英一 ウェブサイト http://www.e-arai.com/

◆推薦盤◆ 『ブルースを唄おう』 '96 『オールドファッション・ラヴソング』 '97
新良幸人
あら・ゆきと 新良幸人 月虹(GEKKOU)
歌い手 1967年 石垣島・白保生まれ。
幼少より民謡家の父(新良幸栄)から八重山古典民謡を厳しく教えられる。
'85年に最年少で八重山民謡コンクール最高賞を受賞。
現在は、沖縄県那覇市を拠点にパーシャクラブのボーカル&三線奏者として活動中。 これと並行して同バンド・メンバーの「サンデー」こと仲宗根哲と2人で唄・三線・太鼓による活動も行っている。

◆推薦盤◆ 『月夜浜』 '01 『月虹 (GEKKOU)』 '03 (左写真)
池澤夏樹
いけざわ・なつき 池澤夏樹 パレオマニア
作家・詩人 1945年 北海道生まれ。
小学校入学前に上京。埼玉大学理工学部物理学科に学ぶが、中退。
'75年から三年間にわたってギリシャに滞在。そのころから創作活動に入る。
'87年『スティル・ライフ』で芥川賞と中央公論新人賞を受賞。
小説のほかに詩集、翻訳、エッセイ集など、活躍は多方面にわたる。
'94年、沖縄に移住。
写真家・星野道夫('96年逝去)と親交があり、『旅をした人』(2000年)他、星野道夫に関する著作も多い。
 → Cafe Impala  http://www.impala.jp/

◆推薦書◆ 『すばらしい新世界』 '00(中央公論社)
 『静かな大地』 '03(朝日新聞社)
 エッセイ集『むくどり通信』シリーズ(朝日文庫)
 『パレオマニア 大英博物館からの13の旅』 '04(集英社インターナショナル)
五木寛之
いつき・ひろゆき 五木寛之 歌いながら夜を往け
作家 1932年 福岡県生まれ。
生後まもなく朝鮮に渡り敗戦を平壌でむかえる。敗戦後の困苦を体験し、38度線を決死的に越えて1947年福岡に引き揚げた。
早稲田大学露文科で横田瑞穂の教えをうけ、多大な感化を受ける。
6年間在籍後、授業料未納で抹籍。 その後、業界紙、広告代理店、PR誌編集、ルポライター、CMソング作詞、放送台本執筆などさまざまな職業を経験。
'66年『さらばモスクワ愚連隊』で文壇デビュー(小説現代新人賞受賞)。
同年『蒼ざめた馬を見よ』で第56回直木賞を受賞。 『青春の門』では第10回吉川英治文学賞受賞。
小説、エッセイ集、対談集、翻訳、ラジオ番組、長期連載エッセイ(日刊ゲンダイ連載『流されゆく日々』)など、数え切れないほどの仕事がある。
山崎ハコはじめミュージシャンとの交流もあり、音楽に関する発言・著作も多い。

◆推薦書◆ 『戒厳令の夜』 '76(新潮社) 『風の王国』 '85(新潮社)
 『五木寛之論楽会 歌いながら夜を往け』 '81(小学館) / '85(集英社文庫)
 『青空ふたり旅』 ('76年 井上陽水との対談) '85(角川文庫)
 『日本幻想紀行』 (松永伍一との対談) '79(講談社文庫/上下2冊)
 『辺界の輝き 日本文化の深層をゆく』 (沖浦和光との対談) '02(岩波書店)
◆関連推薦書◆ 『雑民の魂 五木寛之をどう読むか』 駒尺喜美 著
  '79(講談社文庫) 五木寛之に関する評論で、これまでに一番感銘を受けた本。
OKI
オキ OKI カムイ・コル・ヌプルペ
 『KAMUY
   KOR NUPURPE』
トンコリ奏者 北海道旭川市在住。 日本人を母に、アイヌを父に持つ。
1987年渡米、ニューヨークのフィルムプロダクションでヴィジュアル・アーティストとして活躍したのち、'92年に帰国。 旅先で偶然譲り受けたカラフトアイヌの伝統的弦楽器「トンコリ」に魅了され自らのルーツに回帰。
『カムィ・コル・ヌプルペ』'96 (左写真) 『ハンカプィ』'99 『ノーワンズ・ランド』'02 を発表。 2005年5月、待望のニュー・アルバム『トンコリ』完成・発売。
アイヌ文化伝承者・安東ウメ子(2004年7月逝去)の『イフンケ』'01 と『ウポポサンケ』'03 のプロデュースでも注目された。
海外各地のミュージック・フェスティバルや国連主催の先住民族作業部会への参加を通して、先住民系アーティストとのネットワークを広げている。
 → CHIKAR STUDIO  http://www.tonkori.com/

◆参考◆ 『別冊太陽 先住民 アイヌ民族』 '04/11(平凡社)に一文を寄せている。
桂枝雀
かつら・しじゃく 枝雀十八番
 『枝雀十八番』
 (東芝EMI/1981/
  LP9枚組)
 宿替え/寝床
 蛇含草/代書屋
 天神山
 くっしゃみ講釈
 延陽伯/高津の富
 鴻池の犬/壺算
 仔猫/夏の医者
 鷺とり/口入屋
 八五郎坊主
 くやみ/愛宕山
 親子酒
上方落語家 1939年 生まれ。 神戸大学在学中の'61年、桂米朝に入門。
'62年に桂小米(かつら・こよね)となり、'73年、二代目・桂枝雀を襲名。
高校時代から弟(現・奇術のマジカルたけし)と組んだ漫才で素人参加番組の賞金荒らしをして注目される。 枝雀襲名後は、派手なアクションとおもしろい落語家として急速に人気が出た。
'74年、大阪朝日生命ホールで初の独演会。 '76年以降、大阪サンケイホールで定期的な独演会を開催。 '81年に同ホールで初の6日間連続独演会「枝雀十八番」を開き、'85年にも二回目を行なっていずれも大成功をおさめた(どちらもレコードに収録されて発売=東芝EMI)。
その一方で、実験的なフリー落語の会や、英語落語の独演会を試み('87~'96、米国、オーストラリア、カナダ、イギリスなどで公演)、新作落語にも積極的に取り組んでいた(座付作家として小佐田定雄がいる)。
'84年に東京・歌舞伎座で独演会を開催(ぼくも聞きにいった)、'87年に再び開催。
東京ではこの他に、桂朝丸(現・ざこば)との兄弟会、枝雀一門会、米朝一門会、米朝との親子会などを頻繁に開催していた。
理論家でもあり「緊張と緩和」「緊張の緩和」というユニークな落語理論を展開。
爆笑落語と呼ばれながら、性格的には几帳面で繊細なところがあった。
'99年4月19日、惜しまれつつ世を去った。 享年59歳。
弟子に、桂べかこ(現・南光)、雀三郎、雀松、雀々、九雀、雀司(現・文我)、む雀、紅雀の8人、さらに孫弟子もいる。

◆推薦盤◆ 『枝雀十八番』 '81 『枝雀十八番』(2回目) '86
 CD・VTRも多数発売されている。
◆推薦書◆ 『まるく笑ってらくごDE枝雀』 '83(PHP) =枝雀の落語理論を展開=
 『まるく、まぁ~るく 桂枝雀』 廓正子 著 '81(サンケイ出版)
 『笑わせて笑わせて 桂枝雀』 上田文世 著 '03(淡交社)
小泉文夫
こいずみ・ふみお 小泉文夫と世界の民族音楽展パンフ
 「小泉文夫と世界の
   民族音楽展」
 '85/7/26~8/7
 西部百貨店池袋店
民族音楽学者 1927年 生まれ。 東京大学文学部美学美術史科卒業。 '56年、同大学院修了。
'57~'59年、インド留学。 '60年、東京芸術大学専任講師。 '66年、同助教授。
'74年、同教授。
米国ウェスリアン大学客員教授、東京外語大AA研共同研究員、文化財保護審議会専門委員などを歴任。
その間、世界50数か国にわたって民族音楽を調査。 人間の生活と音楽の関わりについて文化人類学的な研究を行い、音楽学に新たな視点をもたらした。
たくみな語り口による世界各地の音楽や楽器の紹介は、一般の人々の民族音楽に対する興味と感心を高めたばかりでなく、そのしなやかな感性と鋭い洞察力に富む思考は音楽以外のジャンルにも大きな影響を与えた。
1983年、死去。  《 『小泉文夫と世界の民族音楽展』パンフレットより 》

◆主な著作◆ 『日本伝統音楽の研究 I/II』 (音楽之友社)
『音楽の根源にあるもの』 『エスキモーの歌』 『空想音楽大学』 『おたまじゃくし無用論』 『歌謡曲の構造』 (以上、青土社) 他多数。
◆主な音源◆ 『民族音楽大集成』 (小泉文夫監修/全50枚組/キング)
 『小泉文夫の民族音楽』 (放送大学ラジオ講座「民族音楽」のカセット化)
上々颱風
シャンシャン
 タイフーン 上々颱風 パラダイス ライブ!
2001 『上々颱風
パラダイス ライブ!』

上々颱風 2002/12/14 シャンシャン・ナイト・フィーバー
 2002/12/14 ライブ
 東京鶯谷
  東京キネマ倶楽部
音楽集団 アジアを中心に世界各国のサウンドと芸能の要素を取り入れた音楽集団。
1980年、横須賀で「紅龍(こうりゅう)&ひまわりシスターズ」として結成。
'86年より「上々颱風」と改名、男女7名のメンバーで始動(現在は6名)。
各地の手作りライブやイベント、政治集会にも出演する型破りな活動で人気沸騰。
'92年には東南アジア5か国をツアーを行い、話題を呼んだ。
アルバム・デビューは、'90年エピックソニーから出した『上々颱風』。
現在まで、ライブ・アルバムを含む13枚のアルバムCD、シングルCD17枚、ライブ・ビデオ『ベガラシャガラ』の他、映画『平成狸合戦ぽんぽこ』のサウンド・トラック盤などを発売。
2004年には、初のDVD『上々饗(しゃんしゃんぶり)』を発売。
2005年5月、10枚目のオリジナル・アルバム『Shang Shang A GO GO !』発売。
1990年から今まで、毎年30~80本(1997年82本)、全国各地のライブをこなす他、木の実ナナ主演のミュージカル「阿国」(おくに)の音楽担当・出演など、幅広い活動を続けている。
 → 【旧】 上々颱風 オフィシャル・サイト(ゆうげい社)
    http://www.yougey.com/shangshang/
 ※ 上々颱風が「ゆうげい社」から「M&Iカンパニー」移籍 (2005/5/2更新)
 → 【新】 Shang Shang Typhoon official website(M&Iカンパニー)
    http://www.mandicompany.co.jp/sst/sst_top_.html

◆メンバー◆ リーダー 紅龍(こうりゅう) : 三弦/ギター/ボーカル
 西川郷子(にしかわ・さとこ) : ボーカル/鳴り物/チャンゴ(韓半島の両面太鼓)
 白崎映美(しらさき・えみ) : ボーカル/鳴り物
 猪野陽子(いの・ようこ) : キーボード/アコーディオン
 西村直樹(にしむら・なおき) : ベース
 渡野辺マント(わたのべ・まんと) : ドラムス/スティールパン
◆代表アルバム◆ 『上々颱風』 '90  『上々颱風2』 '91  『上々颱風3』 '92
 『愛があるから大丈夫』 '93  『八十日間亜州一周』 '94  『ためごま』 '96
 『グナース グナース』 '97 (以上、エピックソニー)
 『上々颱風8』 2000  『上々颱風パラダイス ライブ!』 '01
 『上々颱風9 心の花』 '02  『サウンド・シアター「阿国」』 '03
ソウル・フラワー・
 ユニオン
ソウル・フラワー・モノノケ・サミット 2005/12神戸
 '95/12
  神戸市役所前
 『LEVELERS
    CHIG DONG』
  解説裏写真
音楽集団 関西出身のロック・バンド。
'84年、伊丹英子・内海洋子を中心に結成された「メスカリン・ドライブ」。
'85年、中川敬を中心に結成された「ニューエスト・モデル」。
この二つのバンドが'93年に合体して生まれたのが「ソウル・フラワー・ユニオン」。
'93年『カムイ・イピリマ』、'94年『ワタツミ・ヤマツミ』、'96年『エレクトロ・アジール・バップ』、'99年『WINDS FAIRGROUND』と、個性的なアルバムを次々に発表。
アイリッシュ・トラッド、アイヌ民謡、韓国民族音楽、沖縄音楽、日本戦前歌謡、などさまざまな音楽要素を取り込んだ異色のサウンドと、社会的マイノリティに光をあてた音楽世界が注目されている。
1995年1月、阪神淡路大震災が発生し、関西を拠点とする彼らは伊丹の発案で被災地での演奏活動を開始。 電気のない被災地で演奏するために、エレキギターを三線に持ちかえ、マイクの代りにメガホンで歌う。 チンドン太鼓、和太鼓、チャンゴ、アコーディオンやクラリネットといった、電気を必要としない楽器で演奏活動を始めた。
震災の翌年、「ソウル・フラワー・モノノケ・サミット」名義で『アジール・チンドン』を発表。 このアルバムは、彼らの被災地での演奏がわかる感動的な内容である。
'97年、「モノノケ・サミット」名義の第2作『レベラーズ・チンドン』発表。
  《 下記公式サイト記載のプロフィール他、ネット情報を参考にした 》
 → SOUL FLOWER UNION and MONONOKE SUMMIT Official Web Site 
    http://www.breast.co.jp/soulflower/

◆メンバー◆ 中川敬(なかがわ・たかし) : 歌/ギター/三線、他
 伊丹英子(いたみ・ひでこ) : ギター/ブズーキー/チャンゴ/チンドン
 奥野真哉(おくの・しんや) : キーボード
 河村博司(かわむら・ひろし) : ギター/コーラス
 コーキ(伊藤孝喜/いとう・こうき) : ドラムス / JIGEN : ベース
大工哲弘
だいく・てつひろ 大工哲弘&ツンダラーズ あがろーざ
 大工哲弘
  &ツンダラーズ
  『あがろーざ』
歌い手 1948年 沖縄県八重山諸島石垣市生まれ。
八重山民謡の大家、山里勇吉の弟子としてスタート、その独特のスタイルを継承。
沖縄民謡界で重要な地位を築いてきた。 現在、民謡教室講師、ラジオのDJなど多彩な活動を続けている。 そのライブ・パフォーマンスに接した人は、彼を〝島うたロックンローラー〟と評する。
海外公演の要請も多く、これまでにヨーロッパ、ラテン・アメリカ、南・西アフリカ、南アジアの諸国で公演している。
  《 アルバム『あがろーざ』'98 解説のプロフィールから引用した 》
 → 大工哲弘ホームページ 「大工哲弘でんさー通心」
  http://www.daiku-tetsuhiro.com/

◆代表アルバム◆ 『ウチナージンタ』 '94  『大工哲弘』 '95
 『ジンターナショナル』 '96  『大工哲弘&ツンダラーズ/あがろーざ』 '98
 『蓬莱行』(2枚組) '2003 など。
高田渡
たかだ・わたる 高田渡トリビュート
 高田渡トリビュート
  2004 Seals
   Records


高田渡 バーボン・ストリート・ブルース
歌い手 1949年 岐阜生まれ。 2005年4月3日、公演先の北海道白糠町で倒れ、釧路市内の病院に入院していたが、4月16日未明に死去。 56歳。
8歳の時に母を亡くし、父と兄弟で東京に移転。
中学卒業後、昼間は印刷会社で働き、夜は定時制高校に通う苦学生活をおくる。
ピート・シーガー、ウッディ・ガスリーを通じてフォークソングに出会う。
'68年、『自衛隊に入ろう』で鮮烈なデビュー。 『汽車が田舎を通るとき』『ごあいさつ』『武蔵野タンポポ団の伝説』などのレコードを続々とリリース。 フォーク界の風雲児となる。 以来30年、独自のスタイルを変えず、現在に至る。 その持続性、かたくなな音楽に対する姿勢が、今、改めて注目を浴びる。 キンチョー蚊取りのテレビCMや、ハウスシチューのCMソング「ホントはみんな」も評判になった。
木島始、黒田三郎、山之口貘、石原吉郎、吉野弘、金子光晴、永山則夫などの日本の現代詩を歌にするという独創性も高く評価される。
2004年、トリビュート・アルバムが発売され、斉藤哲夫、村上律、大庭珍太、なぎら健壱、柄本明、中川五郎、シバ、アーリータイムスストリングスバンド、中川イサト、佐久間順平、いとうたかお、佐藤GWAN博、山崎ハコ、大塚まさじ、といった錚々たるミュージシャン達がトリビュート(tribute:貢物、賛辞)を捧げている。
また、同じ年にドキュメンタリー映画『タカダワタル的』が制作されて話題になった。
 → 「タカダワタル的」のサイト  http://www.altamira.jp/takadawataru/
  《 自伝 『バーボン・ストリート・ブルース』 (山と渓谷社) から引用、補足した 》

◆代表アルバム◆ 『高田渡/五つの赤い風船』 '69  『ごあいさつ』 '71
 『系図』 '72  『石』 '73  『ヴァーボン・ストリート・ブルース』 '77
 『渡』 '93  『貘』 '99  『Best Live』 '99  『日本に来た外国詩』 '01
◆推薦書◆ 『バーボン・ストリート・ブルース』 (自伝/2001 山と渓谷社)
中島みゆき
なかじま・みゆき 中島みゆき BEST SELECTION II
 中島みゆき
BEST SESECTION II
  '92 キャニオン
歌い手 1952年 北海道生まれ。 中学2年の頃からオリジナル曲を作り始め、高校時代にPPMやギルバート・オサリヴァンなどの影響でフォークに興味を持つようになる。
'70年、札幌の藤女子大学国文科に入学。 北海道大学の学生たちとグループを組
んで本格的な活動を始める。 その頃からコンテスト荒らしとして有名。
〝ポプコン〟(ヤマハ・ポピュラー・コンテスト)がきっかけで、'75年9月に『アザミ嬢のララバイ』でレコード・デビュー。 同年の〝ポプコン〟グランプリ、〝世界歌謡祭〟グランプリを『時代』で獲得し、一躍スターとなる。 '77年に『わかれうた』、'78年に『悪女』を大ヒットさせ、松任谷由美と並び称される。
最近では、『空と君のあいだに』『地上の星』などのヒット曲で知られる。
これまでに発売されたアルバム(LP/CD)は、40タイトル以上にのぼる。
コンサート・ツアーも数多く、'89年から続けられている『夜会』は殊に有名。
また、エッセイストとして、『愛が好きです』 '82、『伝われ、愛』 '84 他のベストセラーがあり、小説も出版。 深夜放送のパーソナリティなど、多彩な活動を続けている。
  《 主に、旺文社 『現代日本人物事典』 '86 から引用、ネット情報等を参考に補足した 》
  → 中島みゆき オフィシャル・サイト 「でじなみ」
     http://nakajimamiyuki.cplaza.ne.jp/
  → 「中島みゆき研究所」(ファン・サイト)  http://www.miyuki-lab.jp//

◆アーティストへの楽曲提供◆
一例をあげると、桜田淳子「しあわせ芝居」「追いかけてヨコハマ」/研ナオコ「あばよ」「かもめはかもめ」「窓ガラス」他/小柳ルミ子「雨・・・」/加藤登紀子「この空を飛べたら」/松坂慶子「海と宝石」/柏原芳恵「春なのに」「カム・フラージュ」「最愛」/増田けい子「すずめ」/日吉ミミ「世迷い言」「命日」/郷ひろみ「美貌の都」/前川清「涙」/工藤静香「FU-JI-TSU」「MUGO・ん・・・色っぽい」「黄砂に吹かれて」「慟哭」「激情」他/根津甚八「ピエロ」/薬師丸ひろ子「空港日誌」/吉田拓郎「永遠の嘘をついてくれ」/長山洋子「な・ま・い・き」/田中一郎&甲斐よしひろ「あり、か」/三田寛子/ちあきなおみ/中江有里/西田ひかる/グラシェラ・スサーナ/森山良子/佐田玲子/香坂みゆき/吉田日出子/山内美恵子/松本典子/夏木マリ/古手川祐子 等々、多すぎて書ききれないほど。
◆代表アルバム◆ 『私の声が聞こえますか』(デピュー・アルバム) '76
 『みんな去ってしまった』 '76  『あ・り・が・と・う』 '77
 『愛していると云ってくれ』 '78  『親愛なる者へ』 '79
 『生きていてもいいですか』 '80  『臨月』 '81
 『寒水魚』 '82  『予感』 '83  『はじめまして』 '84
 『御色なおし』 '85  『Singles』 '87  『歌でしか言えない』 '91
 『時代 ― Time goes around ―』 '93  他
◆推薦曲(ぼくの好きな歌)◆
 「タクシードライバー」「狼になりたい」 (アルバム『親愛なる者へ』)
 「夏土産」 (アルバム『予感』)  「雪」 (アルバム『臨月』)
 「流浪の詩(さすらいのうた)」 (アルバム『みんな去ってしまった』)
 「霧に走る」 「サッポロSNOWY」 「歌姫」 「二隻の舟(にそうのふね)」
◆推薦盤(中島みゆき以外の演奏)◆
 『中島みゆき SONG LIBRARY 1~5』 (提供曲集) PONY CANYON '97
  上記アーティスト達による中島みゆき作品(提供曲)のオリジナル演奏集。
  所属レコード会社が違う30人もの歌手の演奏を集めたのが、珍しい。
  彼女の歌作りの才能がうかがえる、貴重な企画アルバム(5枚)。
 『ミュゼットの風』 (演奏:ビストロ・テンポ) 日本クラウン '94
  アコーディオンを中心とした、中島みゆきナンバーの器楽演奏。
  よくあるようなメロディーをなぞっただけのものではなく、上質の演奏。
平岡正明
ひらおか・まさあき 平岡正明 歌謡曲見えたっ!
評論家 1941年 東京生まれ。 社会評論・音楽評論の分野で活躍。
『韃靼人宣言』('63年・現代思潮社)で登場いらい、革命・犯罪・歌謡曲・浪曲・映画・文学など幅広い分野を対象に評論活動を展開。
膨大な著作があるが、代表作として『犯罪あるいは革命に関する諸章』('67年・現代思潮社)/『ジャズ宣言』('69年・イザラ書房、'90年・現代企画室)/『ジャズより他に神はなし』('71年・三一書房)/『あらゆる犯罪は革命的である』('72年・現代評論社)/『日本人は中国で何をしたか』(潮出版社/潮文庫)/『闇市水滸伝』('73年・第三文明社)など。

◆推薦書◆
 『歌謡曲見えたっ!』  '82(ミュージック・マガジン)
  80年代初頭の歌謡曲論集。 当時の雑誌掲載文章を集めたもの。
  山口百恵、ピンク・レディー、桑田佳祐、松田聖子、八代亜紀、森昌子、
  三波春夫、矢野顕子などの流行歌を縦横無尽に論じた音楽レビュー。
  山崎ハコと石黒ケイを高く評価しているのがうれしい。
 『山口百恵は菩薩である』  '79(講談社)/ '83(講談社文庫)
  まるごと一冊、山口百恵を熱く論じた快著。
 『遠くちらちら灯りがゆれる』  '85(らむぷ社)
  三波春夫、岡庭昇、朝倉喬司との共著。
  浪曲・河内音頭・歌謡曲に焦点を当て、放浪芸の根源に迫る。
船戸与一
ふなど・よいち 船戸与一 砂のクロニクル 船戸与一 国家と犯罪 船戸与一 叛アメリカ史
作家 1944年 山口県生まれ。
早稲田大学法学部卒。 豊富で入念な海外取材をもとに、『非合法員』『山猫の夏』『砂のクロニクル』『午後の行商人』『流砂の塔』など傑作冒険小説を多数発表。
ノンフィクション作品は、豊浦志朗の筆名で『硬派と宿命』『叛アメリカ史』がある。
  《 『国家と犯罪』(小学館文庫)の著者紹介を引用 》
船戸与一がぼくをひきつけるのは、世界の紛争地帯に単身で乗り込み、体を張ってマイノリティー(被抑圧者)と共に行動することで、現代世界の構造を暴き出す、その姿勢であり、鋭い問題意識である。・・・などと難しいハナシを別にしても、次々と、読んで面白い小説を出してくれる作家なのだ。
宮部みゆきと並んで、質・量ともに当代随一の物語作者だと思う。
 → 「この一冊/蝦夷地別件」 のページをご覧いただきたい。
◆推薦書◆
 『蝦夷地別件』  '95(新潮社) この傑作については、別ページに詳しく書いた。
  江戸時代後期の歴史やアイヌ民族に少しでも興味のある方にお薦めしたい。
 『砂のクロニクル』  '92(新潮社) / '92(新潮文庫)
  イランのクルド民族独立運動を描く壮大な叙事詩。
 『流砂の塔』  '98(朝日新聞社) / 2000(朝日文庫)・2002(新潮文庫)
  ウイグル民族独立をめぐる内紛を軸に現代中国の暗部を描く長編。
 『猛き箱舟』  '87(集英社) / '97(集英社文庫)
  雇兵としてアフリカに渡った元自衛官を中心に現代日本の闇を描く冒険小説。
 『国家と犯罪』  '97(小学館)/ 2000(小学館文庫)
  キューバ、メキシコ、中国、クルディスタン、イタリア、など世界の〝辺境〟で
  今、何が起きているのか? 国家とは何か?
  著者らしい綿密な踏査に基いて考察、記述したルポルタージュ。
 『叛アメリカ史』  '77(ブロンズ社)/ '89(ちくま文庫)
  豊浦志朗名義で書かれたルポルタージュ。
  アメリカ合衆国は、果して自由と民主主義の国なのか?
  アメリカインディアンの居留区、ブラックパワーの渦中に自ら飛び込み、
  〝叛史〟の担い手たちとともに行動しながらフロンティアスピリット神話を撃つ。
星野道夫
ほしの・みちお 星野道夫 アラスカ光と風 星野道夫 アラスカ風のような物語
写真家 1952年 千葉県生まれ。
慶應義塾大学卒業後、アラスカ大学野生動物管理学部に入学。 以後アラスカの人々、自然、野生動物写真を撮り続け、国内外の雑誌・書籍に作品を発表。
'96年、ロシア・カムチャッカ半島クリル湖畔で、ヒグマに襲われ逝去。
    《 『アラスカ 風のような物語』(小学館文庫)の著者紹介を引用 》
星野道夫という人のことを、ぼくはずっと知らなかった。
友人の作っているサイトに紹介されていたのがきっかけで、写真家・星野道夫の名前を知ったのは、2003年秋のことだった。
その後、高尾山(東京都八王子市の西にある低山)の麓、昔の大きな民家の廃材を使った風情のある「ほうとう」料理店で、偶然にも星野道夫の写真集を手にした。
大判のアラスカ写真集を見て、こんなすごい写真を撮る人がいたのか、とびっくりしたことを覚えている。
最初に図書館から借りて読んだのが、『アラスカ 光と風』と『アフリカ旅日記 ゴンベの森へ』という本。 その後、次々と彼の著作を借りて読み、その魅力にすっかりとりつかれてしまった。
星野道夫の写真は、日本人ばなれのしたスケールの大きいものだが、その写真を通して彼の暖かい眼差しが感じられる。
彼の写真には、アラスカの生命(動植物・人間)が息づいている。
また、彼が残した膨大な文章には、その魅力的な人柄が満ち溢れている。
これから先、一生読み続けることになりそうな人である。

◆推薦書◆
 『アラスカ 光と風』  '95(福音館日曜日文庫)
  '86年、六興出版から同タイトルで出版された本に、その後加筆したもの。
  彼は大学時代にふと目にした一枚のアラスカの地図がきっかけで、アラスカの
  シシュマレフ村の村長宛に手紙を出し、それだけの〝つて〟を頼りにアラスカ
  に渡った。
  星野青年の瑞々しい感性がとらえたアラスカの人々と自然、その後あらためて
  アラスカ大学の学生として住むことになってからの様々な経験が、彼一流の
  文章で綴られている。 写真も、もちろんいい。
 『アラスカ 風のような物語』  '99(小学館文庫)
  '91年、小学館から刊行された写真文集『ALASKA 風のような物語』を再構成
  したもの。 文庫本ながら上質紙を使った美しい本。 カラー写真がいい。
 『イニュニック〔生命〕』  '98(新潮文庫)
  '93年、新潮社から刊行され本の文庫版。
  著者自身のあとがきによれば、'90年にアラスカに家を建ててから'93年秋までの
  話で、雑誌「マザー・ネイチャーズ」に連載されたものに加筆。
 『ノーザンライツ』  2000(新潮文庫)
  '97年、新潮社から刊行され本の文庫版。
  この本に、ぼくは深い感銘を受けた。 いずれ「この一冊」のページに書くつもり。
 『森と氷河と鯨』  '96(世界文化社)
  星野道夫最後の遺作。
  月間「家庭画報」に連載中、彼は急逝した。
  アラスカに伝わるワタリガラスという鳥にまつわる神話を追って、彼はシベリア
  まで足を伸ばしたのだった。
  ボブ・サムというアラスカ先住民(インディアン)の男との出会い、彼と訪ねた
  クイーンシャーロット島に残る、朽ち果てた古いトーテムポールの話が、いい。

 これ以外にも『旅をする木』『長い旅の途上』など、エッセイ集多数あり。
 どれも感動を与えてくれる。
南方熊楠
みなかた・くまぐす 平野威馬雄 くまぐす外伝 神坂次郎 縛られた巨人 南方民俗学 鶴見和子曼荼羅V
生物学者
民俗学者
1867年(慶応3年) 和歌山県生まれ。 アメリカ、イギリスに14年間暮らし、独学で学問した。神社合祀反対運動で活躍した。日本におけるエコロジー運動の先駆者。
1941年(昭和16年)、自宅で家族に見守られながら死去。
お医者さんを呼ぼうかという身内の問いかけに対して、彼の最期の言葉は「もういい、この部屋の天井に美しい紫の花が咲いている。医者がくればこの花が消えるから呼ばないでくれ」というものだった(神坂次郎「くまぐす外伝」による)。

幼児から和漢の古典を読み、写本にして記憶するという習慣を身につけた。他方、動植物の野外観察に熱中した。学校の勉強は大嫌いだが自発的な学問は大好きという習性は、子供の頃から生涯変わることがなかった。
明治19年、大学予備門(東京帝国大学の前身)を中退。アメリカに向かい、中南米をイタリアの曲馬団とともに巡遊して動植物を採集し、その後、明治25年にイギリスに移った。
ロンドンでは、主として大英博物館で十数ヶ国語の文献を読み漁り、写本した。 その一方、自然科学誌「ネイチャー」「ノーツ・エンド・クィアリー」に合計323篇の長短の論文を寄稿。 当時のイギリスの学界で名をなし、孫文と親交を結んだ。
明治33年、日本に帰国。 4年間は紀州那智山にこもって粘菌、苔類を蒐集するかたわら、『方丈記』を英訳した。
その後、紀州田辺に移り、以後ここに定住。 彼が集めた粘菌の数は193種にのぼり、外国にないものは約7種と自認した。 国際的に新種と判定され、彼の名を冠されたものもある。

民俗学では、「十二支考」「燕石考」「神跡考」「邪視」についての諸論文など、いずれも世界各国の事例を博引傍証して地球規模での比較を行なった。
また彼は、仏教の因縁は、因果律(必然性)と縁(偶然性)とを同時にとらえようとした科学的方法論であって、真言密教の曼荼羅はそのモデルであると喝破した(いわゆる「南方曼荼羅」)。
明治39年の神社合祀令のために、全国で多くの神社が破壊され、それをとりまく森林が伐採された時、彼は、自然生態系の保全と地域住民の生活・信仰心を守る立場から、10年間にわたって反対運動を展開。 逮捕監禁されたこともある。
「神社合祀反対意見書」の中で、「エコロジー(棲態学)」という言葉を先駆的に使った人でもある。
    《 『現代日本人物事典』(旺文社) 他を参照した 》
南方熊楠の名は以前から知ってはいたが、具体的な知識は皆無だった。
ある時、駅の地下街で開催されていた古書展で、たまたま見かけたのが、平野威馬雄という人が書いた『くまぐす外伝』という一冊の文庫本。
思えばこれが、ぼくと熊楠との出会いだった。
この〝巨人〟ともいえる人物を知るには、ちょうどいい評伝だったと思う。
南方熊楠については、近年、関心が高まってきていて、さまざまな評伝や研究書が出版されている。
彼自身が書いたものは、生前、まとめて出版されることが少なく(この点は宮沢賢治に似ている)、死後に膨大な『全集』(1951~52年・乾元社・全12巻/1971~75年・平凡社・全12巻)の他、東洋文庫/岩波文庫『十二支考』、東洋文庫『南方熊楠文集』(2巻)などが刊行されている。
平凡社ライブラリー『柳田国男 南方熊楠 往復書簡集』(上下2巻)を読んだが、明治の人の教養に裏付けられた文章(しかも〝候文〟である)を読むのは骨の折れることだった。 ぼくには半分ほども理解できなかったが、しかし、面白いのである。

◆参考書◆
 『くまぐす外伝』  '72(濤書房)/ '91(ちくま文庫) 平野威馬雄
  文字通り、巨人・熊楠の評伝。 巻末に、熊楠の「履歴書」という大正14年に
  書かれた手紙(研究所設立資金を募るために書かれた)が掲載されている。
 『縛られた巨人 南方熊楠の生涯』  '87(新潮社)/ '91(新潮文庫)
  神坂次郎(こうさか・じろう)の手になる評伝。
  〝縛られた巨人〟というネーミングが、生前の熊楠をうまく表現している。
  (熊楠をこう呼んだのは民俗学者の谷川健一である。)
 『柳田国男 南方熊楠 往復書簡集』  '94(平凡社ライブラリー/上下2巻)
  明治44年から大正15年にかけて柳田国男との間に交わされた膨大な書簡の
  うち、主に熊楠側に残されたものを中心に編集されている。
  柳田国男の著作集には、別の一部も収められているようだ。
  柳田と熊楠の考え方の違いがわかって興味深い。 当初、柳田国男は熊楠の
  学問の仕事を理解する姿勢を見せていたのだが、その後、意見の違いから
  決裂した。
 『南方熊楠コレクション』  '91(河出文庫) 中沢新一 編集(全5巻)
  熊楠自身の著作を集めたアンソロジー。 文化人類学者の中沢新一が編集。
  すでに絶版で、5巻のうち2巻だけ、かろうじて入手。
  「邪視について」「鷲石考」「燕石考」など熊楠の重要な論文を読むことが
  できる。
 『南方熊楠 森羅万象を見つめた少年』  '96(岩波ジュニア文庫) 飯倉照平
  少年向け読み物。 最近、ネット販売で入手。 面白そうである。
 『コレクション 鶴見和子曼荼羅 V 水の巻 南方熊楠のコスモロジー』
   '98(藤原書店) 鶴見和子
  ぼくが信頼している社会学者・鶴見和子の著作集の一冊。
  まるごと一冊、南方熊楠に関する論考を収めている。
   「鶴見さんの南方研究が群を抜いて私たちに説得力があるのは、つねに
   柳田国男と対峙させる手法によると思われる」(谷川健一)。
  熊楠という巨人が残した仕事を理解する上で、ありがたい指針となる。

 この他、『南方熊楠を知る事典』(講談社現代新書)、鶴見和子『南方熊楠』
 (講談社学術文庫)などについては「この一冊」のページで紹介したい。
山崎ハコ
やまさき・はこ 山崎ハコ '85/12/3~5 FM東京ホール
 '85/12/3~5
 FM東京ホール

山崎ハコ '90/3/14 シアターアップル
 '90/3/14
 シアターアップル

山崎ハコ '91/11/23 神奈川県民ホール 12/11 草月ホール
 '91/11/23
 神奈川県民ホール
 '91/12/11
 草月ホール
歌い手 大分県生まれ。
1975年、18歳の時にアルバム『飛・び・ま・す』でレコード・デビュー。
2005年、デビュー30周年をむかえて健在。 ライブ活動中。
経歴、代表作品については、別のページに詳しく掲載しているのでご覧いただきたい。
 → 「資料蔵/山崎ハコ・ディスコグラフィー」
 → 「この一枚この一曲/幻想旅行・幻想旅行II」
山崎ハコ追加情報
◆映画音楽の仕事◆
 『地獄』  '79 (東映) 神代辰巳監督
  「心だけ愛して」「きょうだい心中」の2曲を提供。
  「きょうだい心中」は京都の伝承歌。 『南方熊楠を知る事典』の中で、
  西川照子という人が次のように紹介している。

この「兄妹心中」、京の伝承では、「堺の町」(堺町?)は「西陣町」、兄の名は「モンテン」、妹「オキヨ」の年が十九、妹の男の年も十九、とある。・・・
姉と弟、兄と妹――神々の世界なら許されるこの恋愛が、人間世界ではなぜいけないのか。 この「きょうだい恋愛」は現在でも生きている。 内藤やす子の流行歌「弟よ」(橋本淳作詞)は「弟よ、弟よ」と呼びかけ、「悪くなるのは もうやめて あなたを捨てたわけじゃない」とキワドイ科白をいう(ちなみに、『きょうだい心中』は山崎ハコによって歌われた)。
   《 講談社現代新書 『南方熊楠を知る事典』 P.535~536 》

 『青春の門』  '81 (東映) 蔵原惟繕/深作欣二監督
  五木寛之作詞の「織江の唄」が使われた。
 『望郷』  '84 (東映) アン・ホイ監督
  ベトナム難民を描いた映画。 カーン・リーという歌手に楽曲提供。
  サウンド・トラック盤には、ハコ自身の歌も3曲収録されている。
 『皆月』  '99 (日活) 望月六郎監督
  下田逸郎作詞・作曲の「早く抱いて」がエンド・テーマとして使われている。
  これはいい歌だ。 ライブでもよく歌っている。

 この他にも『曖・昧・Me』『押繪と旅する男』『愛の新世界』などの映画に楽曲
 提供しているようだが、ぼくは見ていない。
夢枕獏
ゆめまくら・ばく 夢枕獏 神々の山嶺
作家 1951年 神奈川県生まれ。 東海大学文学部卒。
カヌー、鮎釣りなどを愛するアウト・ドア派であり、将棋や格闘技が好きで、写真も撮るという守備範囲の広い現代作家。
幻想的な作品が多い中で『神々の山嶺』は異色作と言える。
作者自身、この小説の雑誌連載終了時に、こう書いている。
「直球。力いっぱい根限りのストレート。もう、山の話は、二度と書けないだろう。・・・それだけのものを書いてしまったのである。これだけの山岳小説は、もう、おそらく出ないであろう。・・・どうだ、まいったか。」
この人のこういうところが、ぼくは好きだ。
膨大な量の作品のうち、これまでぼくがまともに読んだのは『上弦の月を喰べる獅子』というSF風のものと、『神々の山嶺』という山岳小説の二作。
熱心なファンも多いようだが、ぼくにとっては「この一作」だけで好きになった作家である。 それで十分なのである。
 → 「この一冊/神々の山嶺」 のページをご覧いただきたい。
 
( 2005/3/5 ひとまず完成 )
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