アイヌ資料 4 |
<< 初回掲載日 2005/7/29 / 最終更新日 2005/8/7 >> |
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◆ アイヌ神謡集 (知里幸恵) | ◆ 「アイヌ神謡集」を読みとく | ◆ 「アイヌ神謡集」をうたう (CD) | |||
● 知里幸恵 『アイヌ神謡集』 の世界 知里幸恵 (ちり・ゆきえ) |
知里 幸恵 |
『アイヌ神謡集』 知里幸恵 編訳/岩波文庫/2004 第35刷 1923年(大正12)8月10日、郷土研究社から刊行(幸恵没後)。 これは、柳田国男らが出版していた「炉辺叢書」シリーズの11冊目。 その後、1970年(昭和45)に札幌の広南堂書店から復刻刊行、74年再版。 1978年(昭和53)、岩波文庫で刊行され、ようやく手軽に読めるようになった。 文庫版で200ページにも満たない小さな本だが、読むほどに味わいの深まる一冊。 いま、ぼくの中には、この本と著者についての情報が集まりすぎたために、かえって虚心に読むことがむずかしくなったが、初心に戻って書かれたテキストを素直に読んでみると、背後に大きな世界の広がりを感じることができる。 それは、一つに、アイヌ語の不思議な響き、もう一つは、彼女の日本語訳から受け取ることのできる、アイヌが語り伝えてきた豊かな物語世界、といったものである。 わずか500円足らずの出費で手に入る本。 ぜひ原典にあたっていただきたいのだが、そう言ってしまうとこれ以上書くことがなくなってしまうので、内容紹介をしよう。 幸恵自身による日本語の序文(大正11年3月1日付)、目次(アイヌ語ローマ字表記と日本語表記)、13の神謡(アイヌ語ローマ字表記と日本語訳)、巻末に金田一京助のエッセイ「知里幸惠さんのこと」(大正11年7月15日付、及び、大正12年7月14日付追記=知里幸恵没後の追悼文)。 以上が、底本の郷土研究社刊行当時の内容と思われる。 岩波文庫版では、さらに、知里真志保の「神謡について」という小論文(平凡社/知里真志保著作集から)が収められていて、神謡について理解を助けてくれる内容だ。 序 知里幸恵の思いが伝わってくる名文として名高い。 その全文を紹介したいほどだが、ここで、作家・池澤夏樹の鋭い指摘を引用する。 池澤は、「彼女の印象はまず若さである」とし、幸恵の早世にふれて次のように言う。 若くして大業を成した者とは、実はより大きな運命的な力によって任を与えられた者なのではないか。 (略) 神々の恩寵を受け、彼らの道具となる能力を天才と呼ぶのだ。 神々は若い天才を愛し、大いなる任務を与え、それが終わると速やかに身近に呼び返す。 幸恵の「序」の最後の部分は次のように書かれていて、なるほどと思わせる。 (句読点を書き改めた) けれど・・・・・・愛する私たちの先祖が起伏す日頃互いに意を通ずる為に用いた多くの言語、言い古し、残し伝えた多くの美しい言葉、それらのものもみんな果敢なく、亡びゆく弱きものと共に消失せてしまうのでしょうか。おおそれはあまりにいたましい名残惜しい事で御座います。 神謡(カムイユカラ kamui yukar)の特徴として、〝サケヘ〟(sakehe)と呼ばれる繰り返しの文句(〝折り節〟〝折り返し〟ともいう)の付くことがあげられる。 サケヘの語源は、「サ」(sa=節ふし)と「ケヘ」(ke-he=所)という意味からきている。 (片山龍峯『「アイヌ神謡集」を読みとく』 神謡について P.9) サケヘの言葉は、今となっては意味がわかりにくくなっているが、鳥獣(神々)の鳴き声や所作をあらわすものが多いという。 口承文芸である神謡には、題名が付けられらず、それぞれの話に固有のサケヘが題名代わりに使われているようである。 この『アイヌ神謡集』に収められている13編の神謡のタイトルも同様である。 便宜上、第一話から第十三話まで、1から13の番号を付けて紹介する。 1. 梟の神の自ら歌った謡 「銀の滴降る降るまわりに」 「何々(の神)が自ら歌った謡」と題されているように、神謡の主人公は、アイヌをとりまく動植物神・自然神や、「オキキルムイ(okikirmui)」という文化神=アイヌに生活文化を教えた神(萱野茂 アイヌ語辞典による)である。 梟、狐、兎、狼、蛙、獺などの鳥獣や魚貝類(沼貝)の他、「谷地の魔神」(谷地は湿地=アイヌ語でnitat)、「海の神」(沖の神=シャチ、アイヌ語でrepun kamui)など、アイヌは自然の中に神々を見ていた。 さらに、鳥獣の中でも位の上下があって、狐や兎、蛙、獺、沼貝には「神」の名が付けられていないのが面白い。 第三話に登場する狐(黒ギツネ=chironnup kamui)は例外だが、オキキリムイに悪さを働いたために悪い死に方をしている。 それぞれの神謡の終りは、「・・・と、何々(の神)が物語りました」となっているが、それは「ふくろうの神様」(1)であったり、「狐の頭かしら」(2)、「兎の首領」(4)、「ふくれた蛙」(9)、「一つの沼貝」(13)だったりする。 それぞれの物語のおもしろみに踏み込む余裕はないが、アイヌの精神世界、物の考え方が伝わってくる内容である。 サケヘの面白さ サケヘは個々の物語によって違い、長いもの、短いもの、まちまちだが、物語の中で執拗に繰り返されるものだった。 知里幸恵の記述では、煩雑さを避けるために(と思われる)、サケヘの記述は最小限におさえられているが、ローマ字によるアイヌ語表記を注意深くみると、本来サケヘが入るべき箇所は2文字ぶんの空白をとっていることがわかるのである。 例えば、第二話の「トワトワト」というサケヘは、次のように繰り返されていたと思われる。 原文のローマ字記述に、カッコ書きでサケヘを補ってみた。 Towa towa to シネアントータ トワトワト○ また、岩波文庫巻末の知里真志保「神謡について」でも、「神謡の折返」について詳しい論考が展開されていて(岩波文庫 P.178~184)、とても興味深い。 アイヌの世界観 ところで、『アイヌ神謡集』について、吉本隆明という人が『新潮古典文学アルバム 別巻 ユーカラ・おもろさうし』(新潮社)に寄せたエッセイの中で、興味深い指摘をしている。 それは、『アイヌ神謡集』に繰り返しあらわれる描写についてである。 (改行位置と句読点を書き改めた) 私は私の体の耳と耳の間に坐って いましたが・・・ (第一話) わたしがたいへん興味深く関心をそそられたのは、主人公の動物が人間の弓で射られて気を失い死の国にいったというときの描写の一つの共通性のことだ。 (略) |
片山 龍峯 |
『「アイヌ神謡集」を読みとく』 片山龍峯 著/草風館/2003 知里幸恵『アイヌ神謡集』のアイヌ語部分を詳細に解説した労作。 知里幸恵は、15歳の夏(大正7年/1918)、金田一京助に出会い、その後の文通を通じて金田一からアイヌ語表記のためのローマ字習字をすすめられた。 幸恵は学校で英語やローマ字を習っていなかったので、彼女のローマ字は独習によるものである。 金田一は、幸恵に数冊のノートを送り、何でもいいからアイヌ語を書くように勧めた。 幸恵はこれに応えて、少しずつアイヌの伝承(神謡、昔話=ウウェペケレ、早口言葉、ウポポ=座り歌、など)を書き綴っていった。 ノートは何冊にもなり、東京の金田一のもとに送られる。 そのうちの一冊が、のちに『アイヌ神謡集』として出版されたものである。 ところで、知里幸恵によるアイヌ語のローマ字表記は、当時としては画期的なものだった。 それは、アイヌ語の「閉音節」の表記に関する、彼女の鋭い感覚である。 どういうことか。 藤本英夫の『銀のしずく降る降るまわりに』から引用する。 アイヌ語には、日本語とちがって、閉音節がふんだんにあるが、たとえば閉音節の尾音の -r は、それに実在しない母音を加えてユーカラを yukara と書く人がいる。 これは間違いであって、ラ ra と聞こえたのは、直前の母音のaが響いたからである。 この場合、語尾のaはアイヌの意識には存在しないものである・・・(以下、略)
知里幸恵の表記法は、yukarである。 ただ r だけで済ましておおきになるあなたの表記法は、誠に大胆なご見識で、私も思い切ってそうは今迄書かなかった(ただバチラー先生の綴方に盲従して)のを、あなたの表記法を見て、すっかり感服していた処だったのです。 世界のどこへ出しても非難のされようのない正しい表記法なのです。 どんどんそれでおやりなさい。 二十歳も年下の少女に対し、まるで対等な学者に対するのと同じ礼を尽くしたこの文面、いかにも金田一京助らしい。それはさて置き、このことからもわかるように、知里幸恵の『アイヌ神謡集』のアイヌ語表記は、きわめて現代的なのである。 前置きが長くなってしまった。 ここで紹介する『「アイヌ神謡集」を読みとく』という本は、知里幸恵のアイヌ語表記をテキストとして、一語一語にいたるまで詳細に分析、解釈し、考察を加えたものである。 著者の片山龍峯(かたやま・たつみね)は、この本と同時期に、中本ムツ子の協力を得て、『アイヌ神謡集』13編を、ほんらいの伝承形式である〝謡(うた)〟として復元するという画期的な試みをしている(次項)。 もしも知里幸恵の時代に、録音技術が現代のように発達していたら、彼女はこれらの神謡を〝音〟として残し伝えようとしたのではないだろうか、などと想像してみるのである。 |
片山 龍峯(復元) |
『「アイヌ神謡集」をうたう』 片山龍峯(復元)/中本ムツ子(うた)/草風館/2003 知里幸恵『アイヌ神謡集』を〝謡(うた)〟として復元、蘇らせた貴重な音源。 CD3枚組。 片山 龍峯(かたやま・たつみね) 1942年 東京生まれ。 東京外国語大学ポルトガル・ブラジル語学科卒業。 映像ディレクターとして『日本人の人間関係』『雷鳥の四季』『空を飛ぶクモの謎』など。 著書に、『萱野茂・アイヌ語会話(初級編)』(編著) 『[増補版]日本語とアイヌ語』(すずさわ書店/1993)など。 片山言語文化研究所代表。 中本 ムツ子(なかもと・むつこ) 1928年 北海道千歳市蘭越(らんこし)生まれ。 アイヌ語を母語とする父母のもとで自然にアイヌ語とアイヌ文化を習得。 14歳まで一緒に暮らした祖母・カナパンからも強い影響を受ける。 1975年 自営のドライブイン・レストランに千歳のアイヌ古老達を集め、励ましながら アイヌ文化の伝承活動を始める。 1991年 千歳アイヌ語教室の創設に加わり、運営委員長となる。 1992年 国立劇場および遠野民話博覧会などで白沢ナベと共演。 千歳アイヌ文化伝承保存会会長。 草風館のサイト記事 http://www.sofukan.co.jp/books/134.html を参考にした。 北川大 『アイヌが生きる河』 樹花社/2003 に、中本ムツ子と白沢ナベに関する記述がある。 → アイヌ資料1 「アイヌが生きる河 (北川大)』」 CDの内容 手元にあるCDのライナーノーツから転載。 アイヌ語タイトルと英文タイトルは、草風館のサイト http://www.sofukan.co.jp/books/134.html から転載。
【 CD-1 】 このCDで『アイヌ神謡集』の13編を〝謡〟として再現した中本ムツ子は、『知里幸恵「アイヌ神謡集」への道』(東京書籍/2003)に寄せた「『アイヌ神謡集』をうたう」という一文で、次のように語っている。 すこし長くなるが、その一部を紹介したい。
私の母が生きていれば今年で九十九歳になります。 知里幸恵さんと一歳しか違いません。 ですから幸恵さんは母と同じころ生まれ、同じころ青春時代をむかえ、同じ時代の空気を吸って生きた人なのだと思いました。(略) |
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